ブレーメンの思い~食育?
最近、食育・健康・メタボ・などのキーワードを見聞きする。
だがこれは日本が豊かであり、平和だからのんきにこのような事を取りざたされる。 今や食の安全に関しても敏感。・・・・これは食物に対する意識の変化によるものと思う。
もしこのような状況であったらと仮設してみよう。
- 身近に内紛や戦火である場合
- 作物不作・輸入がストップした場合
- 物価が著しく高投資し収入が激減した場合
- 災害により食べ物、飲料水が7日以上たたれた場合
※いつ何処で起きるかわからないそんな危機感を意識したとして
基本的にお金と物の交換は、生命のエネルギー交換と考えるのは飛躍しすぎだろうか。
言葉を創る事は如何様にでも出来、表現は様々、しかし、かつての歴史の中、日本は、閉鎖的であり、島国の為、自給自足(農林水産)に力を入れ、貧しいながらも、自然界と、共存してきた。明治維新以降貿易も盛んになり、悲しい第2次世界大戦も経験し、戦後100年に手が届くとこまで来た。
2009年の今年”欲”をテーマにもう一度人間の本質を考えようと思う。
国→企業→個人←家族←世間
国も企業も個人消費で成り立っているのではないか。科学の発達のおかげで
豊かになり、恩恵を受けている。
しかし環境の悪化と言うとてつもない財産破壊をしてしまい、危機は迫る。
食を考える時、食=命と考えれば、命のエネルギー交換が自然界の摂理
しかし高等科の人間は色々駆使をし喜びと言うものに変化させた気がする。
それは、お互いの感謝の心ではないだろうか。
これが今の世の中一番かけている。
物の後ろには無数の人たちの努力と結晶が有り、自然界の命の循環を、”欲”
と言うもので狂わせてしまったのではないだろうか。
私も、お金と言うものがなければ何一つ手に入らない立場、自給自足している方は別として、都会に住むものは、お金をたたれれば、何一つ出来ない、たまにせつなくなる。
だから物のありがたさ、人のいたわりに有難うを言うべきではなかろうか。
物を作り、長く愛用され、喜ばれている実感をかみ締めている。
”使い捨てされれる物の哀れさかな”
最後の最後まで物を活かすことに心がけたいと思う。
”食育”では無く、食物に感謝がしっくりする気がします。
どうも私には食育という言葉の意味が理解できない。
賞味期限→廃棄・食べ残し→残飯、使いまわし(再利用)→衛生問題
すごい量の食品廃棄を見聞きするのはどうしてでしょうか。
もし、食べ物が無かったらこれらの事どう考えるのでしょう・・・・
まずは、食べれるか、腐って食べれないかに重きを置くのは私だけでしょうか。
物が溢れているから、選べれますが、無かった場合どうなのでしょう。
想像できないかもわかりませんが、世界には選ぶことの出来ない人々も存在すると言うことを、心に留めなくてはいけないのです。
ブレーメンはそんな思いもこめて脇役として誕生したものです。
http://shop.yumetenpo.jp/goods/d/pancup.com/g/NARUMI-7980-30726/index.shtml
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